人生はゴーヤみたいに苦い?
今日は早めに仕事が終わったので、ウチ飯です。
頂いたゴーヤとカボチャがあったので、
ゴーヤチャンプルーとカボチャの煮つけ。
野菜たっぷり取ったどー
話は変わりますが、(またかい。)
今日は人の悪口の話。
私は(誰でもそうだと思いますが)、人の悪口を聞くのが苦痛。
後ろ向きな話とか、人の悪口しか言わない人と一緒にいると
気が滅入ってしまいます。
でも、私自身が人の悪口を言っていることがあって、
それに気付くと、後でひどく落ち込むんですね。
ああ、私も嫌な人になってたなって。
あと、人の悪口を言っている時って、
案外その人に嫉妬していることがあって、
それを認めたくないもんだから、余計に落ち込むんです。
妬みとか嫉みとか、ドス黒いものが自分の中にあることを
無意識に否定しているんですね。
で、気付きました。
そういう自分も、自分なんだって。
いい子ぶってても、嫌いなものは嫌いだし、
妬んだり嫉妬したり、普通にするし、
でもそれも含めて自分なんだってことに。
認めたっていうか、開き直ったっていうか、
嫌いな人がいたっていいじゃん。人間だもの。
それで、それをおくびにも出さずにニコニコしたりできる。
大人ですもの…。
どんなに嫌いな人でも、いいところはきっとあるし、
もし無かったとしても、反面教師にすればいいし。
嫌いな人がいてもいいって思えたら、少し楽になりました。
今日食べたゴーヤみたいに、人生ビターな部分もあるのよねん。
(ただ、話を聞いてもらった相手には、お詫びしたいと思うのです。
人の悪口なんて、誰も聞きたくないですもんね。)
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