I was born

かつ

2014年01月22日 19:04

移動中の新幹線で、ある詩人の死が報じられていた。
聞き覚えのある名前だと、しばらく考えたが、
果たして、中学で習った散文詩、I was born の作者だった。

中学2年、3年の国語を担当してくださったO先生は、
本当は高校の国語の先生で、中学校との交流とやらで
私の母校の中学に赴任されていた。

子どもを子ども扱いしない。言いにくいこともはっきり仰る先生で、
私はO先生の国語の授業が大好きだった。

授業の度に詩や短歌や俳句を一つ持ってこられて、
始めの10分間で、それについて解説してくださる。
私たちはそれらを授業のノートとは別のノートに書き写していた。
ノートの名前は、「私の詞華集」。
高校受験には絶対に役に立たないけれど、
様々な「詞の華」が、私たちのノートを埋めていった。

吉野弘の I was born という散文詩も、
私の詞華集に収められた華のうちの一つ。

英語で受動態を習い始めたばかりの男の子が、父親に言う。
「やっぱり I was born なんだね。
正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。
自分の意志ではないんだね。」

驚いた父親は、しばらく考えた後にこんな話をする。
「蜉蝣という虫はね、生まれて2~3日で死んでしまうんだが、
(中略)卵だけは腹の中にぎっしり充満していて
ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで
目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが
咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。
淋しい 光りの粒々だったね。」

そして、男の子の母親が彼を生み落してすぐに亡くなった
事実に触れるのだ。

当時、私は両親との関係に悩んでいて、
特に母親に対する同情やら、怒りやら、悲しみやら、
いろんな感情に振り回されていた。
だからこそ強烈に覚えているのだけれど、
この詩が私の心に迫ってきたのは、やはり母の死後だった。

蜉蝣は何のために生まれてきたんだろう。
母は何のために生まれてきたんだろう。
幸せだった時なんて、あるんだろうか?

あれから30年以上経って、詩から受けるイメージも、
メッセージも随分変わったように思う。
昔は少年の立場だったのに、最近は父親のセリフが
胸に沁みるのだ。

せつなげだね。

※詩の全文に興味のある方は、「I was born 吉野弘」
で検索して頂けると、いろいろなサイトがあります。
著作権の関係もあるでしょうから、ここに貼るのは差し控えます。

吉野弘氏のご冥福をお祈りいたします。

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