母のおにぎり

かつ

2016年12月27日 17:31

こんにちは(^O^)/
浜松の社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー
小田切克子です!

先日、掛川のある事業所様を訪問した時の事。

その事業所様の周辺にはお店があまりないので、
午後イチのご訪問の時には、途中でおにぎりを買って、
事業所様近くの公園で食べることにしています。




先日も写真のような、おにぎりが二つ入ったパックを買い、
どっちが明太子だろうか?と、よくよく観察していたところ(笑)、
(子どもみたいで恥ずかしいのですが、できれば好物を最後に
食べたい習性があるので、おにぎりの具は結構大事なんです。)
それこそ子どものころの、ある思い出が蘇ってきました。

うちの母は病弱で、入退院を繰り返していたのですが、
元気な時は、私の弁当におにぎりを作ってくれました。
ところが、これが大人のげんこつくらいの
大きさがあって、「あんな小さな手で、どうやって
こんな大きなおにぎりを作るんだろう?」と、
いつも不思議に思うと共に、ちょっと不満にも感じていました。

あまりに大きいので、一個食べたらお腹いっぱい。
(母は握力もあったようで、一体お茶碗何杯分だ?
という量の米を、ギュウギュウ握るのです。
とても大きくて、固いおにぎりでした。)

周りの友達は、梅干しだ、昆布だ、おかかだ、
と味のバリエーションを楽しんでいるのに、
私のはいつも梅かおかかか、のどちらから片方。
しかも、海苔の間から具がはみ出ているので、
食べる前からどちらか分かってしまう。
いろいろ食べたい盛りでしたから、
ある日、意を決して母に申し出たのです。

「お母さん、うちのおにぎりは大きすぎるよ。
他の家のおにぎりはもっと小さいし、
形も三角形とか俵型とか変わってて、
具もいろいろ入ってるんだよ!」と。

普段なら、「よそはよそ、うちはうち。」と、
まるで節分の豆まきのようなことを言って、
子どものわがままを聞き流す母が、
その時は妙に神妙な面持ちになり、
「ふーん、そうなんだ。」と答えました。
私は子供心に、「あれ?いつもと違うぞ?」
と思ったものです。

次のお弁当の日、いつものように弁当箱を開けると、
海苔とご飯がごちゃ混ぜになった、混ぜご飯のような物体が
横たわっていました。具の梅干しやおかかも、
あることはあるのですが、どう見てもこれはおにぎりではない。
完全に分解してしまっています。

私は周りの目が気になって、蓋でお弁当を隠しながら
食べました。そして母を恨んだのです。
「お母さん!どうしてこんな事になったんだよ!」

うちに帰って台所を見て分かりました。
プラスチック製のおにぎりを作る型が置いてあったのです。
きっと初めて型を使ったので、力加減が分からなかったのでしょう。
ゆるく握られたおにぎりは、無残にも昼を待たず
崩れてしまったのです。

そうとは知らない母。
帰ってきた私を見るなり、
「どう?今日のおにぎりは?小さかったら?」
私は何も言えず、「うん、ありがとう。」とだけ小さく言って、
テレビをつけて、母に背を向けてしまいました。

それからもしばらく、崩れそうなおにぎりは続きました。
自分で頼んだ手前、口が裂けても言い出せませんでしたが、
昔の武骨な、そして大きなおにぎりの方が
型で作った味の薄いおにぎりより数倍美味しかった。
多分その後は母の体調が悪くなったのでしょう。
私のおにぎりの記憶は、それ以来途切れています。

普段は記憶の端にもないことを、
何かの拍子でありありと思い出すことがあります。
今は亡き母の、大きな、そして固いおにぎり。
自分でも真似して作りますが、
同じ味には決してなりません。

あの日文句を言った自分を、今も恥ずかしく思っています。
そして、母にわがままを言えたこと、
母がそのわがままを珍しく聞いてくれたこと、
全部ひっくるめて、抱きしめたくなるのです。

ある小春日和の、公園ランチのお話でした。






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