花音、ありがとう

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入院中だった愛猫花音(かのん)が、とうとう逝ってしまいました。
腎臓機能の低下を示す値は、点滴投与でずい分下がったのですが、
肝心の体力が落ちていたため、耐えられなかったようです。
やはり、私が早く病院に連れて行かなかったのがいけない。
可哀想な事をしました。まだ9歳(人間でいえば50歳位)だったのに。

かかりつけの先生が、花音の身体をきれいにして、
新しい段ボール箱に安置してくださいました。
眠ったような、そのきれいな顔を見て、
以前のように、号泣するのかと思ったのに、
自分でも不思議な位、冷静な気持ちでいられるのに驚きました。

ああ、人間も年を取ると悲しいという感情すら、
薄れてしまうのかな?と、ちょっと落ち込んだりしたのですが、
次の日以降、何気ないことで涙ぐんでしまい、
そんな自分に少し安堵する別の自分がいたりもする。

例えばカーラジオから流れてきた歌の、「待ってたよ。」というフレーズに。
例えばインターネットの、かわいい猫の動画に。
例えば古い友人の、「辛いね」といういたわりの言葉に。

10年前に二代目の愛猫を見送り、その最期があまりに壮絶だったので、
「もう金輪際、生き物は飼うまい。」と心に決めたのに、
半年もたたないうちに、猫のいない生活に耐えられなくなっていました。
こたつに入る時、無意識に中を覗いてから足を入れている自分に気付き、
里親探しの会に連絡を取ったのです。

すぐに見つかった三匹は、親猫とはぐれたノラちゃんで、
目が開いたばかりの、小さな子猫でした。
三匹兄妹をバラバラにしたら可哀想だと、思いきって三匹もらい、
ミルクをあげるのも、トイレを躾けるのも、やっぱり三倍大変で。
でも、嬉しさも楽しさも三倍だったね。

分かっていたんです。
嬉しさや楽しさも三倍だけれど、別れの悲しみも三倍だってことに。
動物を飼うという行為は、本来とても残酷な行為です。
生殺与奪の権利を握ってしまうのだから。
それでも人は、動物を飼うという行為をやめられない。
動物に癒してほしいと思うのは、人間のエゴかもしれないのに。

私じゃない人にもらわれていたら、もっと幸せになったんじゃないか。
どうせ助からないなら、
最後に辛い治療を受けさせるべきじゃなかったんじゃないか。
あの時ああしていればというたくさんの後悔を、
これからは三倍引きずっていくことになります。
そんな後悔を引きずりつつ、残った二匹を大切に育てていこうと思います。
きっとまた泣くんですけどね。

花音、楽しい9年間をありがとう。
私のところに来てくれて、本当にありがとう。
静かに眠ってください。

最後に、あたたかい声をかけて下さった皆様に、
そして夜遅くまで診察してくださった動物病院の皆様に、
この場を借りて、深く御礼申し上げます。
ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。

花音、ありがとう


小田切花音 享年9歳 特技:頭突き 性格:ビビり 好きなもの:兄猫


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