2015年07月05日22:48
変えられるもの、変えられないもの≫
こんにちは(^O^)/
浜松の社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー小田切克子です!
梅雨の終わりは、大雨になることが多いですね。
皆さんのお住いの地域は、いかがでしょうか?
さてさて、今日は、
「過去は変えられないけれど、過去に対する認識は変えられる」
ってお話です。
よく言いますよね。「過去と他人は変えられない。
変えられるのは、未来と自分だけだ。」って。
でも、実はもう一つ変えられるものがあります。
それが、「過去に対する認識」です。
過去という、変えられない事実を、自分がどう捉えるか?
ってことですよね。
例えば、私は大学に行っていません。
家が貧しかったとか、姉が長期入院したとかが、外的要因。
母親を亡くして、頑張る理由がなくなって、
全く勉強しなかったのが、内的要因。
結果、現役で進学できず、おまけに家出してしまって、
生きるためにアルバイトに精を出していたら、
いつの間にか、どんどん進学が遠のいてしまって…。
大学に行かなかったことは、事実。
進学して、立派になった同級生を見て、気後れするのも事実。
じゃあ、それをどう捉えるか?
大学に行かずに、早くから働いて、いろんな仕事ができた。
無駄な経験は一つもないし、たくさんの出会いもあった。
何より、自分で自分を養える自信がついた。
自分が無学だって自覚があるから、
人より努力して勉強しよう。
自分以外の人は、みんな先生だと思って、
どんなことからも貪欲に学ぼう。
そう、思えた。
考えてみれば、家が貧しくても苦学して大学に行く人だって
たくさんいるし、在学中にもっと真面目に勉強していれば、
有利な奨学金だってあった訳だし。
自分の努力不足を棚に上げて、一人で悲劇のヒロインになって、
いろんな言い訳して、いつまでも不幸の国の住人でいるより、
過去を過去として受け入れて、今後に繋げていったほうが、
余程生産的だし、精神衛生上も好ましい。
何より、人生に「たられば」はない訳で、
何の問題もない家庭に生まれてたら、こうなってたはずなんて、
考えるだけでナンセンス。
タンポポの綿毛は、一斉に風に乗って、
運良く肥えた畑に落ちる綿毛もあれば、
コンクリートの継ぎ目に落ちる綿毛もあって、
でも、咲けるならそこで一生懸命咲けばいい。
中には、川に落ちてそのまま流されて、
一生咲けない花もあるんだから。

駐車場のコンクリートの継ぎ目で、健気に咲く
ど根性昼顔を見て、そんな風に考えたのです。
(花、変わってるし…。
)
今こうやって元気に、毎日働けること。
社会と繋がって、少なからずも人のお役に立てること。
結果オーライで、いいんですよね。
人生の折り返し点を過ぎて、やっとそう思えるようになった
まだまだ半人前の私です。
今後ともよろしくお願いします
(テーマ、変わってるし…。
)
浜松の社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー小田切克子です!
梅雨の終わりは、大雨になることが多いですね。

皆さんのお住いの地域は、いかがでしょうか?
さてさて、今日は、
「過去は変えられないけれど、過去に対する認識は変えられる」
ってお話です。
よく言いますよね。「過去と他人は変えられない。
変えられるのは、未来と自分だけだ。」って。
でも、実はもう一つ変えられるものがあります。
それが、「過去に対する認識」です。
過去という、変えられない事実を、自分がどう捉えるか?
ってことですよね。
例えば、私は大学に行っていません。
家が貧しかったとか、姉が長期入院したとかが、外的要因。
母親を亡くして、頑張る理由がなくなって、
全く勉強しなかったのが、内的要因。
結果、現役で進学できず、おまけに家出してしまって、
生きるためにアルバイトに精を出していたら、
いつの間にか、どんどん進学が遠のいてしまって…。
大学に行かなかったことは、事実。
進学して、立派になった同級生を見て、気後れするのも事実。
じゃあ、それをどう捉えるか?
大学に行かずに、早くから働いて、いろんな仕事ができた。
無駄な経験は一つもないし、たくさんの出会いもあった。
何より、自分で自分を養える自信がついた。
自分が無学だって自覚があるから、
人より努力して勉強しよう。
自分以外の人は、みんな先生だと思って、
どんなことからも貪欲に学ぼう。
そう、思えた。
考えてみれば、家が貧しくても苦学して大学に行く人だって
たくさんいるし、在学中にもっと真面目に勉強していれば、
有利な奨学金だってあった訳だし。
自分の努力不足を棚に上げて、一人で悲劇のヒロインになって、
いろんな言い訳して、いつまでも不幸の国の住人でいるより、
過去を過去として受け入れて、今後に繋げていったほうが、
余程生産的だし、精神衛生上も好ましい。
何より、人生に「たられば」はない訳で、
何の問題もない家庭に生まれてたら、こうなってたはずなんて、
考えるだけでナンセンス。
タンポポの綿毛は、一斉に風に乗って、
運良く肥えた畑に落ちる綿毛もあれば、
コンクリートの継ぎ目に落ちる綿毛もあって、
でも、咲けるならそこで一生懸命咲けばいい。
中には、川に落ちてそのまま流されて、
一生咲けない花もあるんだから。

駐車場のコンクリートの継ぎ目で、健気に咲く
ど根性昼顔を見て、そんな風に考えたのです。
(花、変わってるし…。

今こうやって元気に、毎日働けること。
社会と繋がって、少なからずも人のお役に立てること。
結果オーライで、いいんですよね。
人生の折り返し点を過ぎて、やっとそう思えるようになった
まだまだ半人前の私です。
今後ともよろしくお願いします

(テーマ、変わってるし…。

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